なつかしのマシン達


私が独身の時に住んでいた昔の部屋の写真からなつかしのマシン達を ご紹介致します。

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1970年頃 カシオ社のfx-602P
1972年頃 NEC社のPC-8001mk2
その後 PB-100,PB-300
NEC-PC9801(無印),..RL,RA...
年式不明 NEC社PC-100,NEC-NS/T(NS/Tは今3台あります)
DOS/V機はIBM,無印組立品から最近はDELL(Optiplex,Dimension)がお気に入り
DOS/V-NoteはメビウスノートからSONYへ、最近は HP-200LX,VAIO-PCGC1がお気に入り
SUNはSUN3/80からSS2,SS2,SS2,LX..と現在私のホームページもSS2で動いています

1987年10月
当時すでにインターネットワークを構築しておりPCでUUPC(UNIXのUUCPのDOS版)を 利用してインターネットメールやインターネットニュースをやり取りしておりました。
当時インターネットのサーバーと言えばSUNマイクロシステムズ社のワークステーション! これが欲しくて頑張りました
また、この年の11月に初めてアメリカのラスベガスで行なわれているCOMDEXに 行きました。
その後秋のCOMDEXは同業者の方々との恒例の行事となっております。
当時日本のパソコン市場がNEC社の独占状態でハードウェアからソフトウェアまで 豊富な海外市場から調達することが難しい状態でした。最近でこそ米国発売後すぐに 日本語版が発売されたり、DOS/V以降豊富なパーツがそのまま日本でも利用できるように なりましたが当時は1〜2、3年待ってやっと日本市場に入ってくるといった状況でした。
そのような時期にCOMDEXで展示されていた米国の最先端製品には非常に感動したものです。

キーボード 初代PC9801(無印)です、モニタはジャンク品のカラオケ専用モニタですね。
左下のモデム(下段) 当時高速モデムと言われたCTS社製2400BPSモデム
このモデムを手に入れる前は300BPSのモデムを使用しており
さらにその前は300BPSの音響カプラを使っていました
左下のモデム(上段) アマチュア無線でパケット通信を行なうためのTNCモデムです


1988年10月
左のミニFAX これはアマチュア無線器に接続していたミニFAX(一時はやりました)
FAX下のFD これは5インチFD 2Dx2ドライブと当時非常に高価なNEC純正ドライブです
FAX左下のHDD 5インチFDの左に少しだけ写っているのは当時これまた高価だったHDDドライブです容量はなんと10MBもありコンパイラ、エディタ、通信ソフト、ワープロ、おまけに開発中のプロジェクトのソースにライブラリまですべて入ってしまうという驚異の容量を誇っていました
FAX右下の黒い箱 これもアマチュア無線に関連するもので安定化電源装置です
机左側のFD これは8インチフロッピーディスクドライブです
最近の方は見たこと無いでしょ!HDDが手に入る前はのFDドライブ2基 だけでCコンパイラを走らせていたんですよ
実際に市販されたソフトをこのFDのみの9801(無印)で作っていました。 ソースのフルコンパイルには1時間ほど「ガチャガチャ」いいながら途中で FDをライブラリの入ったものに差し替えながら作ってました。
8インチFD下PC本体 これがNEC9801無印本体です
8インチFD上のモデム 87年から利用している2400モデムです
机左のFAX これはG3規格の小型FAXです、フルサイズのFAXが高価で巨大な 筐体だったため自宅では小型のFAXを使っていましたがめちゃくちゃ遅かったです


1990年3月
中央のパソコン 初代PC9801からエプソンのPC-386Xという高速マシンに買い替えました
このマシンはNECが当時80386,16MHzが最速でしたがこのマシンは80386,20MHz という驚異の速度を誇っていました。
エディタは「びゅんびゅん」スクロールするし、コンパイル(MSC)もあっというまに 終わってしまうという感動のマシンでした
内蔵のHDDも20MBx2と超大容量、フロントパネルを良く見てもらうと5インチ フルサイズのベイが4つあるでしょ、HDDx2+5インチ2HDx2なんですよ!
しかしこのマシン互換機の宿命のため開発に向かず半年程でNECのマシンに 入れ替えられてしまうという運命でした
PC上のUPS 自宅で開発する場合ブレーカーが落ちるという問題があります
そこで、UPSを購入したわけですね
コピー機 仕事中にコンビニへ走ってコピーを取る疲れキャノンのパーソナルコピー機 を購入、購入後初コピーでコピー機上面のガラスがいきなり左右に動いたのには びっくりしたな!


1990年7月
中央のPC これがエプソンの386Xから入れ替えたPC-9801RAです
オプションで増設したメモリが12MB、20万円以上したような気がしますが、、(いくらだったんだろう)
とにかくこのPCとメモリ、HDD、モニタで70〜100万円という今では考えられないほど高額な製品でした。
左下の無線機 無線機もいつのまにかICー2500に更新されていますね
プリンタ 当時夜中にプリントしていると、親から「ギーギーうるさぞ!油をささんか!」 と言われたものです
HC-20 机の上にちょっこと写っているのは多分HCー20というハンドヘルドコンピュータです。
テープから音響化ぷらまでそろったフル装備だったような


1990年7月  (上の写真のマシン部分の拡大です)
PC-9801RL あれあれ、良く見ると上に載っているマシンはNEC-9801RLでした
3.5インチFD 箱の中の上段に入っているのが3.5インチFD装置がです
当時は5インチ全盛だったので3.5インチだと読めないぞーと言われたものです
HDDドライブ これまたNEC純正HDDドライブです、多分100〜200M位だったような気がしますがめちゃくちゃ高かったな


1991年8月   (ワークステーションが導入されたぞ、ISDNも入ったぞ)
どんどんマシンが増えてきてとうとうSUNのワークステーションを導入しました。 今まではインターネットに接続するのに2400のアナログモデムを利用していましたが ワークステーションの導入に伴い電話回線をISDN化しました。
当時埼玉県新座市に住んでいたのですが市内で初めての個人宅(市内でも2番目とか) ということでNTTの社員の方が大勢来られてビデオにまで記録して行かれました。
これでインターネットのドメインを運用していました。
画面左のワークステーション これはSUNマイクロシステムズ社のSUN-3/80 カラーという機種です
本体、1/4インチMT、マニュアル、OSメディア、カラーモニタ、搬入費用などなど で300万円位だったかな、当時NECの98では400x600ドット16色 だったのにSUNは1152x900フルカラーという驚異的なグラフィク性能でした。
メモリは1MのSIMMを16枚(フル実装)、内蔵HDDはデフォルト100MB+200MBという 最高スペックでした。
机左奥の電話機 これはS-1000というNTT純正のISDN電話機です、当時ISDNに直結可能な デジタル電話機はこれしかありませんでした
デジタルモデム 写真には写っていませんがISDNを導入時に購入したディジタルモデムは NTT純正のD-2というモデムでした。同期64Kが可能なのは当時画期的!
机右奥のPC このPCは多分IBM社のPSなんとかっていうモニタ一体型のモデルです、 英語版のPCDOSを必要としていたため使っていました。
<某社からの借り物でしたのでその後返却していまはありません>
80386の32ビット、ネイティブコードを生成する必要があって当時それをサポート しているホワイトスミスのCコンパイラを実行するために使っていました。
LANは とうぜんこれらのマシンはLANでネットワークされていました、 この当時はイ−サネットといえば「イエローケーブル」と呼ばれる 同軸ケーブルを利用したものでした。
たぶんこのころは自宅にマルチポートトランシーバを設置していた ような気がします。
この後10BASE-2という細い同軸ケーブルを使ったものに移行しました。
インターネットは 当時商用プロパイダは存在しませんでしたのでお友達どうしの 接続が基本でした。
当時私はジュースというグループで活動をしておりインターネットへの 接続が可能でした、商用プロパイダが立ち上がる直前には 北海道から沖縄まで250名程の会員の方がお互いをネットワークする このネットワークでインターネットへのアクセスをしておりました。
ワークステーションやISDN回線を持っている人はネットワークを提供 する立場にもならなければならず今でいうISPのような作業をして いたわけです。


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